Summary日本人には想像のつきにくい安楽死の実情ですが、近年、安楽死が合法化された国では急速に安楽死の拡大、浸透が進んでいます。なぜ各国で合法化が進んでいるのかについて解説していきます。1.そもそも安楽死って何?安楽死が合法化されている国では、社会福祉の代替案として考えられており、病に苦しむ個人の問題というより、社会全体の問題となっています。世界で初めて安楽死を認める国はオランダで、2001年に法が成立しました。オランダでは、病気で苦しむ患者の「死なせてほしい」という切実な願いに応えてきた医師が、殺人罪に問われる裁判の積み重ねがあり、その中で安楽死を認める要件が示されてきた経緯がありました。オランダでは、日頃から患者を診ている「家庭医」が定着していた背景もあります。患者の死にたいという声を聞いた家庭医は、「なんとかしてあげたい」と思うようになります。患者との信頼関係があってこそ、「命を救う」という本来の使命を越えてでも、患者のために苦しみを終わらせたいという思いが医師たちにあったのでしょう。ここでは、賛成か反対かを考える前に、そもそも安楽死とは何かについて解説していきます。日本では「安楽死」と「尊厳死」が混同されるケースが多い現状があります。「安楽死」は、医師が薬物を注射して患者を死なせることをい指します。「尊厳死」とは、一般的には終末期の人に、それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える(開始しない)、あるいは中止する(延命措置をとらない)事によって患者を死なせることを指します。同様に混同されやすい「医師幇助自殺」は、医師が薬剤を入れた点滴を施し、そのストッパーを患者自身が外すといった方法を指します。あくまで「自殺」である為、薬を飲む、点滴のストッパーを外す、といった最後の行為は患者自身によって行わなければなりません。2.「死ぬ義務」化への不安日本では、「早く楽にしてほしい」と患者や家族が医師に頼み、薬を使って「安楽死」した事件が戦後から現在にかけて複数ありました。「肉体的にこれほど苦しいならば、楽に死なせてほしい」と望む気持ちは否定されるべきではありません。しかし、安楽死の対象は、肉体的な苦しみから、精神疾患や認知症、年老いていくと、いくつもの病気が重なる老年性複合疾患による持続的な苦しみにまで拡大するという動きが欧州では出てきています。上記を踏まえると、現在の日本では一概に安楽死を認められない現状があります。3.安楽死・尊厳死の現在安楽死への扉が開かれると、一気に吸い寄せられていく恐れがあります。死にたいと思う背景には様々な問題があり、医療が対応できる肉体的苦痛だけではなく、社会保障や経済といった社会全体で立ち向かう課題も様々にあります。また、尊厳死についてもこれ以上の延命措置を本人も希望しない場合や、認知症を患っている方の家族に対しては、判断がかなり難しい問題だと思います。死を選べば、本人の問題は終わりますが、課題は残ったままです。4.「たそがれゾーン」が存在自己決定ができる状態が続くとは限りません。年老いたり認知症になったりして、できなくなるグレーゾーン、「たそがれゾーン」が存在するのです。判断力があったときに「認知症になったら安楽死させてほしい」と書いていても、認知症になったときに忘れていれば、その時点での本人の意思は明確といえません。認知症を患ってしまったケースで、安楽死を実施する直前に、本人の意思は明確でなく、安楽死を拒否する事例も出ています。米国で始まった生命倫理学というのは、自分で人生や治療方針を選ぶことができる人をモデルに構築されてきました。しかし、高齢化が進み、ゆっくり進行する慢性疾患を抱えて長く生きる人が増加する社会では、このモデルだけでは適用できなくなってきました。自己決定がうまくできない、朝はしっかり話せたけど夕方になると話が通じない。そういった人の思いを探って、本人の意思を尊重するケアを目指すべきだと思います。高齢者になると、若いころほど体は動かなくなり、病気も痛みも出てきます。それでも医療や介護を受け、なんとかやりくりをして自分なりに生きていく。また、過ごし方によっては生きる意味はそれなりにある、と考えることはできます。健康とは完全に良い状態というWHO(世界保健機関)の健康定義や、病気になったら完治を目指すという近代医学のモデルが高齢化社会の現在では崩壊しつつあります。高齢化社会に対するWHO(世界保健機関)の考え方や定義を、そろそろ見直す時期に来ていると言えるでしょう。5.「尊厳死」の法制化をめざす動き超高齢社会を迎えている現在の日本でこの先、十分な年金や介護を受けられるのかと、疑問を持つ人達が多いことが取り上げられています。高齢者が追い詰められ、仕方なく尊厳死への形だけの「自己決定」をする動きが今後懸念されています。このような決め方は、自発的な意思決定とは言えません。現在、日本救急医学会や日本老年医学会などの専門学会が相次いで治療の中止を盛り込んだ内容を出し、厚生労働省は本人の意思を確認するアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を普及させようとしています。大事なことは、ACPを事前指示書のように「これが患者の意思」と固定化しない事です。事前指示書は、あくまでも過去の決定で、人の心は変わりやすく、動揺や混乱を生む可能性も否定できません。書いてある内容があいまいだと実行できないと言う問題点もあります。ACPは、終末期に限定せずに、治療方針に生かしていくという意味で、何度も繰り返し話し合って培っていくものです。「死ぬ権利」が「死ぬ義務」へと転換しないようにしなければなりません。今回の記事のまとめ欧州を中心に、安楽死を合法化する国が世界中で増えています。病気などによる苦しみを理由とした「死ぬ権利」は、どこまで認められるべきなのか、日本では死に関する議論が深まらない理由をどうみるか、超高齢化社会を迎えている日本でもっと真剣に考えていく必要があると感じます。最後に海外の事例を参考にし、安楽死、尊厳死への理解がもっと日本でも深まって行けばと思います。生命に関わる問題なので、簡単に答えは出ませんが、安楽死を希望する人達の声を無視してはいけない時期に来ているのではないでしょうか。いかがでしたでしょうか? こんな記事が読みたい!といったリクエストがあればぜひお問合せからご要望お待ちしています。